111004_37_震災後、3月28日の自分のノートを振り返ってみた
Facebookの自分のノート@3月28日のものを振り返ってみて、あらためてなるほど…と思ったのでコチラも転載。 震災から2週間が経った。おそらくあの日以来、こうして震災の事を書くのは今日が初めて。何となく考えていることをいつも通り書きたいと思う。今も、夜中のニュースで犠牲者が2万人を超えている…と放送している。これは自分たちが住むこの国にとって大変大きな、そして何より無情で、悲しい出来事だと感じている。 そういえば、世界では2010年1月、ハイチという国で同じく震災があった。31万6千人の人が亡くなった。東北の震災の何倍だろうか。想像もつかない。 そして、1994年4月にはルワンダでジェノサイド(大量虐殺)があって、100日間で100万人近くの方が亡くなった(国民の20%近くに相当するという)のだ。今回の震災で、我々日本人は、手を取り合い、被災地以外の国民が積極的に行動し、ネットの力も用いてサイトを立ち上げたり、寄付を募ったりしている。資本主義の国民が、「買い占めは良くない」「必要な分だけ」「節約しよう、節電しよう」「分け合おう」とまるで共産主義のような事を言っている光景もある。 自分たちの国が、未曾有の災害により危機にさらされたとき、日本の人たちは良い意味で団結し、協力し、助け合おうとしている…直前まで、カンニングだ、与党だ野党だなんて言っていた事が嘘のように、誰しもが少なからず、自分以外の誰かの痛みを感じることが出来ているのではないだろうか。 そんな中、災害とはちょっと違うが、ゲバラの言葉を思い出す。彼が死ぬ前に自らの子どもたちに宛てた手紙の一文だ。 「もし、世界のどこかで誰かが不正な目に合っていたならば、その痛みを感じることができるようになりなさい。」 震災で起きているのは不正ではないから、実際は直接関係はないのだけれど、痛みを感じる事が出来るようになること…その部分に思う所がある。 自分らは、同じ国の国民が、遠く離れた場所で災害に遭い、苦しんでいるのを見て、その痛みを感じ、分かち合おうとする人たちまでいる。ではその人たちは、更に遠く離れたハイチの国で、今回の震災の10倍以上の命が亡くなったとき、何を思い、どういう生活をしていたのか。 ちなみに僕自身は、ハイチに関しては募金こそしたものの、ここまで熱心にウォッチも行動もしていなかった。世間もそうだった。ハイチの地震の時もTwitterでは「不謹慎だ!」なんて誰も言わなかったはずだ。でも、つい数日前までは、なんか言えば「不謹慎だ」って言われる状況が頻発していた。この違いは何だろう。 国内の事で、自分以外の誰かに対し「不謹慎だ!」って言葉を浴びせた人たちは、ハイチの地震の時、笑っていなかったのか、お酒も飲んでいなかったのか。ルワンダのジェノサイドの時、遊んでもいなかったのだろうか。 そもそも、僕らの感じるべき「範囲」って、どこが適切なんだろう…と、ふと考えてしまう。 個人的には、国でくくるのは、気持ち的にちょっと違う。国の境目は、自分に取って気持ちの境目ではないから。 かといって、全人類のことで日々一喜一憂するのも、これまた現実的な話ではない。そこで、先ほどのゲバラの言葉が出てくる。彼は、不謹慎だ!なんて言わない。 彼は「自分以外の人間の痛みを感じられるように」と言っている。それが答えなんだと思う。
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111004_36_震災後に届いたボリビアからのメッセージ
Facebookのノートを見返していたら、たまたま福島の震災後に自分が書き留めたエントリを発見。ボリビアからの日本へのメッセージが記されており、あらためて読み直したのでここにご紹介。
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今回はTwitterのとあるRTがキッカケで出会うことが出来た、ボリビアの皆さんからの日本への応援メッセージを紹介します。
該当するブログURLはコチラ↓
http://danotabi.blog107.fc2.com/blog-entry-380.html
本文中の応援の手紙の画像が全てスペイン語(しかも手書き)なので、以下ご参考までに親愛なる僕の友人(西やん)が翻訳してくれたものを…
(1枚目)
日本で起きたことに悲しみを覚えています。
でも日本は先進国です。日本は強い!
日本の皆さん、どうか克服してください!
友なる日本へ、ボリビアが日本を(一部判読不能)なように、
日本にお気持ちをお届けします。
アレクサンド&イバン ボリビア・ラパスより
(2枚目)
(2人が記入)皆さん頑張ってください。
進み続けましょう。
ボリビアはあなたたちと共にいます。 クラウディア
ボリビア人は今日も、これからも、あなた達の家族です。
そしてその結びつきは、乗り越えた苦労が多ければ多いほど、
強くなるものなのです。 フリアナ
(3枚目)
どうか希望を失わないで下さい…すべてが元通りになるということを。
世界中があなた達と共にいるということを強く心にとどめておいて下さい。
あなた達を支えたいと思っています。 マリアナ
(4枚目)
神様が皆さんにはついているということ、
そして私たち全員が皆さんを助けるために、
ここにいるということを忘れないで下さい。
皆さんのことを心から愛しています。 エスペランサ
(5枚目)
頑張れ、日本の兄弟たち!
天に向かって「問題が大きすぎるのです」と訴えるのではなく、
「問題の大きさよりも、天はもっと大きいのだ!」
と声を上げましょう! サンドラ & ワラ
以上です。
なんとなく、ニュアンスは伝わると思います。
僕たちの戦いはこれからです。
長く続く、この国の復興、とりわけ、東北の町の復興に、
自分のすべき事を何度も自らに問いかけながら、
行動し続けようと思います。
どんなアクションでも、向いている方向が同じであれば、
それは少なからず、この国のために、社会のために、
人のためになることに変わりはないのだから。
未来を信じて。
というわけで今回はここまで。
110612_35_世界は変えられないし、変わらない
4,5年前になるでしょうか。「チェンジメーカー」「社会起業家」というワードと同時に「世界を変える」「世の中を変える」「社会に変革をもたらす」…そんなワードを掲げながら、各々の活動に打ち込む若者たちに各メディアからスポットが当たりました。
国内でそのアクションの先頭を走っていたリーダーたちは、今では行政と連携したり、そこで意見したり、当時と比べれば、皆さんそれはもう目まぐるしい活躍をされています。更に、当時「ビジネスリソース」などという呼ばれ方をしていた今で言うところの「プロボノ」の人たちにも注目が集まり、これはもしかしたら一過性のブームではなく、プロボノってのは息の長いワードになるのではないか?という期待を抱かせてくれます。
とは言うものの、そんな4,5年前と比べ、実際に世の中は「変わった」のか、そして社会も「変わった」のか…残念ながら、大きな変革は「無かった」とするのが、個人的な見解です。これはNPOだけじゃなく、国内外含め、大きなシステム(国、経済etc.)全般に対して…です。
そりゃNPOでも、細かいところで見れば、NPOの寄付税制の話、ファンドレイズの手法としてソーシャルメディアが注目されている話、当時と比べて改善され、可能性が出てきた要素は幾らでもあるでしょう。しかしながら、僕の立っている国内の”現在地”から周りを見渡すと…
毎年資金繰りやスタッフの募集に頭を抱えるNGO・NPO、団体の後継者が育たず潰れていく小さな組織、依然としてJICAなどにぶら下がらないと一定の資金力の確保がし難いNGOの現状、海外に本部のある大組織の支部ではなく”日本発”のNGOが未だに少ないという事実…注目度も含め、多少は広がってきてはいますが、やはりまだ「NPO」も「社会貢献」一部の人のモノでしかないんだよなぁと。震災の後だって、3ヶ月経った今もそう感じています。
3.11をキッカケに、人生の方向性そのものが変わり、今でも現地で支援活動をしている仲間、友人が僕にもいます。それでも僕は、彼らの善意が「世界を、日本を変えていける」とは思っていません。きっと彼らはそんな事すら考えてもいなくて、何とかしたい一心で、ひたすらこれからも活動し続けるでしょう。それによって助かる命もあれば、他人の人生に大きな影響や可能性を与える事が出きるかもしれない。現に僕はそういう(世界規模から見た場合の)”小さな奇跡”みたいなのは一般的な人よりは、このNPO・NGOに関わる生活の中で見てきました。
ただ、何度も言いますがそれはあくまで「小さな奇跡」であって、「世界を変えること」ではありません。
貧困・差別・紛争・宗教・病気・権利・環境…名目上「世界」という単位で、国連という大きなシステムも含め我々人間が取り組んできたそれらが、果たしてどのくらい「世界を変える」ことが、良くすることが出来たのでしょうか。こたえは明らかだと思います。
だから、僕自身は「世界を変えること」と「自分の命において、その周りに小さな奇跡や可能性を示すこと」は別に考えたい。そう思っています。世界の規模から考えたら本当に小さな取り組みだけど、確実に小さな社会を変えてきたNPOが日本には幾つかあるし(例えば島根県の海士町だったり…)、これらかもNPO・NGO団体においてそういう事例が出てくるとは思う。だからこそ、それらのアクションと人類にとっての大きなアクションは別に考えたいな。と。
仮に日本を変革できるようなインパクトを起こせるとして、それは全人類にとっての何%になるのか、それは多くの命が生きる地球上での何%にインパクトを与えられるか。人生をかけて自分が何かに取り組んだとして、そこで仮に10%でも多くの人の人生に影響を与える事が出来たとしたら(←この時点で既にジョブズみたいなレベルですが…)その人はそこで満足できる?それともあと何%変革を起こせれば満足する??…みたいな話になってくるのです。これがまた。
だから、イノベーションていう言葉が好きだったり、世界を変える!ていう意気込みを持っている人ほど、(「変えたい!」って願っている時点で、その人自身は本当の意味で「変えた事がない」人だと思うので)肩の力を抜いて、自分の周りをよーく見渡してみて欲しいです。そして自分が歩いてきた道を、振り返ってみて欲しいなぁ。…何が見えますかね!?
僕の場合は、こんな感じでした。
大切な家族と、仲間と、お世話になった方々と…自分が「ありがとう」を言いたい人たちの存在です。今の自分はその人たちにちゃんと向き合えているだろうか、今まで向き合えて、大切にしてこれただろうか。これからその人たちと共にどんな命を生きてゆきたいか。自分がもし死んでしまったら、その人たちの中にはどんな”自分”が残るのだろうか。
僕が、チェ・ゲバラと同じくらい大好きで、尊敬している人物がランディ・パウシュです。彼はカーネギー・メロン大学の卒業式のスピーチでこう言いました。(パウシュについてはコチラを→http://purupuru-n.com/column/archives/2011/01/06173544.php)
「尊敬や栄誉を得るのは勿論良いことですが、仲間うちで心から敬意を持ってもらえる程度で充分ではありませんか。そして自分が尊敬する人から認められることも、すごく栄誉な事だと思います。」
僅かな余命を宣告された彼の、卒業生へ向けた(残される者へ向けた)メッセージの一部です。人はきっと「生きること」を考えたり、「生まれた意味」を考えはじめたとき、きっと「誰かの役に立ちたい」とか「自分の命を意味あるものにしたい」と思うのかもしれません。ある哲学者の先生に「命や人生に意味なんてない」などと、一蹴されたこともありますがw僕もその「意味」を考えまています。
更には、自分の命だけでなく、他人の、日本の、世界の人々の命に思いが向いたとき、多くの若者たちは我々含め民主主義や過去の歴史が作り上げてきた「大きなシステム」と対峙することになります。更にその延長線上で、自分たちの身の回りのシステムに対しても矛盾、不正、差別…様々な問題と向き合うことになります。ここまできて「何かを変えたい」「変革を起こしたい」と立ち上がる勇気は素晴らしいのですが、既に書いたように、勇気や思いでは、この巨大なシステムの1%も変えることはできません。やはり、現実的には1人の人間が変えられる範囲は決まっており、それは決して世界を変える規模ではない。という事なのですよね。
でも逆に言えば、自分の周り、ごく小さな範囲を見渡せばどうでしょう?もしかしたら、自分が普通に生きているだけで、周りに影響を与えているかもしれないですよね(この地球で自分が生きていると言うだけで)。だからこそ、ドンキホーテの話のように、いつしか絶望して帰ってくるのではなく、すぐそこにいてくれる家族や仲間や恩人たちに感謝し、共に笑顔で生きていけるような…そこからはじめるべきだと思うのです。それで十分じゃないですかね?
僕の大好きなチェ・ゲバラですら世界は変えられなかった。到底自分の命では完結できないであろう”帝国主義”という目に見えない巨大なシステムに立ち向かい、そして志半ばでその生涯を終えてしまったのです。彼の思いは共に戦った仲間、家族、キューバ、アルゼンチンをはじめとした中南米の国の人々、多くの「命」によって伝えられ、今も尚継承されていますが、結局は世界は変わらなかった。
だから、何度も言うけど、世界を変える!などという意気込みをもって無駄な時間をすごすのではなく、自分の身の回りにいる人、すぐそこにいる大切な存在を大切にしましょう。不特定多数へ向けた変革よりも、まずは自分と繋がりがある環境で小さな変化を起こせるかどうか。すぐ横にいる誰かを大切に出来ない人に、海の向こうの人たちの痛みなんか感じることが出来るわけないのですから。今自分は強く、そう思っています。だからこそ僕は「世界を変える!」なんて絶対に言わない。でも、「何かの為に生きる」のなら、すごく良いと思う。その「想い」は伝わるし、それこそ世界へ向けて伝播しゆくものだと思うから。
※まぁこの類の話は「頑張れ!」って言っちゃだめとか、「死」という言葉を簡単に使うな的な話と近いものがあるのかもしれませんね。…と書き終えてふと思ったり。
110608_34_Tumblrって日本語対応していたんですね。
今日、ふとTumblrをいじっていたら、ふと「日本語」が選べるようになっていたことに気づきました(汗
このブログを書き始めた頃には日本語に対応していなかったのですが…いつの間に日本語に対応していたのでしょうか(驚)これでユーザが増えたり、気がつけばTumblr本が出たりするといいなぁ
というわけで、引き続きブログはTumblrで書き続けていきます。そろそろデザインもちゃんとしなければ…。
110605_033_ポル・ポトとカンボジア
以前から「blogに書こう」と言っていて先延ばしになっていたこのエントリ。現在、朝の4時50分ですが…書きはじめます。そういえばパレスチナについてもまだ書けていなかったな…。
「(お前らを)生かしておいても何の得にもならない。(お前らを)失っても何の損にもならない」
これは当時のポル・ポト派幹部の言葉。カンボジアでは1975年~約3年間の間に100万人~300万人の方が殺されるジェノサイドが起きました。当時のカンボジアは600万人ほどの人口だったので、多くみると国民の半分、少なくみても6分の1の人口を失ったことになります。
その中心人物とされるのが「ポル・ポト」。本名はサロト・サル…王室に関連する家系なのに貧しい農民出身を装うため本名を隠したと言われてます。若い頃に仏に留学→マルクス主義と出会い→仏共産党に入党。帰国後は高等中学の先生になる…が→カンボジア共産党に入りゲリラの道へ。毛沢東の時代、文化大革命時に中国に滞在、それが原始共産制のベースになったとも言われています。
それではまず、これらの事件が起こった背景から簡単に振り返ります。ベトナム戦争当時、カンボジアはシアヌーク殿下によって治められ、政策としては「共産主義ベトナム」に賛成はしないものの、国の存続を優先し、北ベトナム軍がホーチミンを経由して(一旦カンボジア領内に侵入して)南側に安全に物資を運ぶ(=カンボジア領内に米国は手を出せない)という「ホーチミン・ルート」を黙認。「好きではない共産主義<<国の存続」の選択に批判が飛ぶ中、1970年に米国CIAがカンボジア政府幹部をそそのかし、反対派をつくり→クーデター。シアヌーク殿下はモスクワ訪問中でしたが、その後中国の全面支援を受け北京へ。そこから反対派のTOPであるロン・ノル首相へのカウンターとして、農村部の市民をゲリラとして味方につけ、北ベトナムの支援も受けつつ、シアヌーク殿下が攻めます。この時の活動の中心だったのがポル・ポト(が率いるカンボジア共産党)。
当時、カンボジア東部も爆撃を受け(北ベトナムの基地があった)、それによりカンボジアで多数の死者(50万人と言われる)→農村部の市民がゲリラ活動へ身を投じる…という流れが起こります。結果的に、米国の仕掛けた戦争(ベトナム戦争)が原因でカンボジアのゲリラが増えるという何ともいえない結果になってしまいました。
1975年4月17日。ポルポトの指揮する軍隊によりロン・ノル政権が崩壊。南ベトナム崩壊のタイミングと同時期にカンボジアも共産党の支配下に。「戦争が終わった」…と思いきや、ポルポトはその直後に市民をいっせいに首都から追い出しはじめ、抵抗するものは全て殺されてしまいました。「自分ら農村のゲリラが命がけで戦った」事に対し、「都市部へ逃げた人間たち」の事がポルポトをはじめ軍の人間には許せなかった…のだそうです。
そして、この日からカンボジア国内で人々は「旧」「新」の住民に分けられます。「旧住民」とされたのはポルポトの軍が支配していた農村部に住んでいた住民で、いわゆる「国民」としての扱いを受けます。そして都市部へ逃げた住民は全て「新住民」とされ全ての権利を剥奪されます。それと共にシアヌーク殿下も幽閉されてしまい、完全なるポルポト体制が固まります。これがカンボジアのジェノサイドのはじまりです。(因みに冒頭のセリフはポルポト派幹部が”新住民”に対して放ったものです。
知識人は全て殺され、貨幣廃止、宗教禁止、寺院破壊、学校・病院の廃止、国民全員が共同農場へ所属、そこで取れたものは全て国のものとなり、何か反論するとその場で処刑。なぜこんな事をしたのか。それを少しでも理解するためにポルポトが目指したと言われている「原始共産制」について少し触れておきます。
原始共産制…あらゆる生産手段を共有、生産されたものを平等に分配される社会(原始時代ってこういう平等な社会だったよね…という推測のもと)。本来の共産主義が高度な生産性に支えられたものであるのに対し、自給自足を”肉体労働のみ”で行う原始共産制は「生産性が低いので上下の格差なく全員が肉体労働に従事しなくてはならない」点で”平等である”というのですが、正直実際はかなり問題点の多いものでした。(そもそも、はるか昔にそのような平等な社会が存在していたかは全くの謎…)
カンボジアでは、この原始共産制の考えに基づき、朝から晩まで無理な肉体労働で農作業、ダムや井戸の工事が行われ、多くの人が倒れていきました。中でも新住民の人に関しては一切の手助けが受けられず、病気になっても何もしてもらえず、最終的には動けなくなった時点で殺されてしまう…という想像を絶する状況が繰り広げられたといいます。
農業政策の経験者がいないポルポト政権が、無理な農業政策を「愛国心があれば何でも出来る」と、某大躍進政策をならって推し進めた結果、当然ながらカンボジア全土に飢餓が広がりました。この間、ポルポトは仮想の敵を作り上げては「すべてがうまくいかないのは敵がいるせいだ」と決めつけ、身内の幹部でさえも粛清(処刑)していきました。こうして、ポルポト政権樹立時の13人の幹部のうち、5人が殺されました。(まるでソ連のスターリンを見ているようですね)
そしてこのタイミングで、政権樹立時に支援を受けた北ベトナムをポルポトは敵視しはじめます。というのも、カンボジア・ラオスは元々、仏に植民地支配されていたにもかかわらず、仏がベトナムを使って間接的に支配(植民地支配の国が良く使う手法。怒りのベクトルをそらす。)していたので、ポルポトはこの背景を利用して「ベトナムへの攻撃」を計画。これにより国内の意識の統一を…と思ったら攻撃した後にあっさりベトナムから反撃を食らい、その後わずか2週間でポルポト政権は崩壊。ポルポト自身はジャングルへ逃げ込み、死ぬまでジャングルでゲリラ生活を送りました。
カンボジアへ侵攻したベトナムの判断には(ベトナム戦争から時間が経っていないことと、他国への侵攻という点で)批判もあったものの、カンボジアの当時の状況が分かるにつれ、世論も変わってきたと言います(ベトナム軍はこれら一連の戦闘で5万人死亡とされている)。ちなみに当時は、道の端を掘り返すだけでも骨が出てきた…状況だったという話もあります。それくらい、ジェノサイドのもたらした影響は深刻なものでした。
ジャングルに逃げたポルポトを、その後支援し、武器を流していたのは中国。更に、国境付近をウロチョロするのを黙認していたのはタイです。中国は、当時のソ連とベトナムの関係が気に食わず、タイは「アジアでのベトナムの影響力拡大に対して云々…」という理由で両国ともジェノサイドについては何もお咎めなしでの対応でした。そして、ポルポトはその生涯をジャングルの中で終えた…そうです。
今も、カンボジアには地雷が残っていますし、ポルポト政権時代のジェノサイドの爪痕がいたるところに見られます。とりわけ、教育・雇用の部分は致命的な印象があり、多くのNGO・NPOが活動してはいるものの、諸問題の解決については中々目処がつかない、糸口が見つからないという声も少なくありません。
僕自身は、直接現地で活動して…という事は今はしていませんが、カンボジアの話をする際に、どうしても「ポルポト」だけが全ての根源のように扱われることに違和感を感じています。こうして、ちょっとだけ背景を押さえるだけでも、ポルポト以前に「アメリカは?」もしくは、そもそもの植民地支配を考えれば「フランスは?」、ポルポト政権崩壊後の事を考えれば「中国は?」「タイは?」と。更には、本当の悲しみの根源を突き詰めていくと「帝国主義」という大きなものにぶつかります。
ポルポトは、スターリン、毛沢東らとの共通点があります(政策などで失敗している部分含め)。我々がこうした歴史的背景から学ぶべきことは、今後考えるべきことは、この国にすべきことは…自分なりに考え、出来る部分については行動に移していきたいと思います。しかしながら、農村から立ち上がり、命がけで戦闘を繰り返し、首都を奪還したポルポトらがそこにいた市民(後に新住民と呼ばれる人たち)に抱いた”怒り”について、その全てを批判することは出来るのでしょうか。僕の中で、実はまだその部分のこたえが出ていません。こういった、自分の中でこたえが出ていない多くの事柄についても、また今後、このブログを通して考えていきたいと思います。
というわけで今回はここまで。